人ごみの中を歩いていた。
僕らは水の中で出逢った。
だから、ここでは息苦しい。
躰の仕組みがどうやら彼らとは違っているらしい。
この世界では僕らは珍しいのだそうだ。
だけど、きみは今日のこの人ごみの散歩を、「楽しかったよ、どうも有難う」と云ったのだ。
それで、僕は、息苦しさも、仕組みの違いも、そして、もうひとつ云えば、出逢った水の中が、水槽の中であったか、海の底であったか、海水か淡水か汽水域であったのか、PH幾つの何性の強い、或いは透明度がどの位であったかという一切のことも記憶にないというそれ自体が、大丈夫だ、という気持ちになった。
確か水の透明度はかなり高かった気はするのだけれどー。
粘性のギター音が響いていた。
これは悪くない。音の余韻と次の音の境界が解らないから。
これはおそらく水中での音の性質と似ているに違いない。
ある一つの違和感を除いてはー。
それは媒介によるものではなく、覚醒と熟睡のそれぞれの感覚の差に近いのだと思う。
今日、人生で初めて月下美人の花を見ました。
咲いていく様が目視でも分かるほどでありました。