ここにきていま一度、
私は、自身の思考を取り戻さねばなるまい、
自身の有様を整理し直さなければなるまい、
そして、いつの間にか惰性になってしまっていた日々を、
見直し、ぶち壊し、行動し、再構築しなければ、
なるまい。
「俺はやり切ったといつも思っている、だから、
生や死なぞは、もはや関係ないのだ。」
そう言い切ることや、うそぶくことは、私にはできない。
ただ、微に入り細に入り、自身のできうる最大限のことを、
否、それ以上のことを、丹念にやる、
それだけのことである気がする。
彼が最初から分かりきっていたことを、
私は今も分からずにいて、
しかし、気付こうという意識で居続け、
そして、いつか気付いたときがあったとしたなら、
「お前、今頃分かったのかい。」
と言われたとしても、それはまだましなのかなと思うのだ。
私は、
これからあと30年程を生きられたとして、
その時間は、
50年に満たなかったが、しかし、彼が生きた濃密な時間の長さに、
追いつけるだろうか。
一昨日、1つ年上の、少なからず私に影響を与えた知人が、
亡くなった。
ちくしょう、ばかやろう。
くそったれ。
最後の最後まで格好つけやがって。