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by onsa-brother

3月11日

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 一年のうちのたったこの一日だけ、慌ててあの日の今日に思いを巡らすようでうしろめたい。

 あの日わたしは東京にいて、当時在籍していた小さな設計事務所の一室で仕事をしていた。
 そして、風景を一変させるあの出来事が起こった。
 デスクの下に体を潜ませ、揺れが一旦おさまったのを見計らって屋外へ出、一緒に働いていた事務所の子と近くの羽根木公園へ様子をみるため避難した。
 あのとき、彼女が、手の震えが止まらないと言っていたことを今頃思い出す。素人判断で揺れはもうおさまったであろうと判断したのち、知人に安否確認の連絡を取りつつ(と言っても、携帯はほとんど不通であったが。)、震えが止まらないというその言葉をほぼ無視して、その日までに中国に提出しなければならなかった図面データの作成を彼女とともに再開した。作業量はさほど多くなかったというのは、言い訳にもならない馬鹿らしい所業だ。
 作業に目途がついた夕方、わたしは彼女を帰宅させ、残りの作業を片付け帰宅することにした、夜10時頃だったか。交通機関は麻痺しており、普段ならば電車を乗り継いで30分程の道程を、わたしは歩いた。開かずとなった京王線の踏切を迂回し、完全に停止してしまった路上の連なる車の間をすり抜け、サイレンの音を聴き、国外脱出の難民のように甲州街道に延々と続く人の列の中にわたしもいた。いまにしてみれば、ひとり住まいのわたしが、その日のうちに待つひとのおらぬ自室への帰途に就く必要の有無を思わなかったのは何故か。
 その後少しの間、買い置きの水と食料を買いそびれ、給油所では、給油を待つ車の順番を巡って起こったもめごとを何度か見かけた。
 わたしは、赤十字に少額の義援金を寄付するにとどまり、友人は忙しい仕事の合間を縫って、三陸へボランティア活動に向かった。

 これからも今日しか思い出さないかもしれない自身を贖罪しようと、卑怯にも辺見庸の言葉を借りる。

ただはっきりとわかっていることがいくつかある。われわれはこれから、ひととして生きるための倫理の根源を問われるだろう。逆にいえば、非倫理的な実相が意外にもむきだされるかもしれない。つまり、愛や誠実、やさしさ、勇気といった、いまあるべき徳目の真価が問われている。
(中略)
混乱の極みであるがゆえに、それに乗じるのでなく、他にたいしていつもよりやさしく誠実であること。悪魔以外のだれもみてはいない修羅場だからこそ、あえてひとにたいし誠実であれという、あきれるばかりに単純な命題は、いかなる修飾もそがれているぶん、かえってどこまでも深玄である。
(中略)
大地と海は、ときがくれば、平らかになるだろう。安らかな日々はきっとくる。わたしはそれでも悼みつづけ、廃墟をあゆまねばならない。かんがえなくてはならない。
                                      - 辺見庸「水の透視画法」より -


 きのうより、痙攣による腹痛が断続的に続いている、数年前から疲れたときに起きるいつものやつだ。



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by onsa-brother | 2014-03-11 14:24 | ・雑記